日本のハワイアン音楽の歴史を清水峰生の活動と共に綴ります |
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写真・後列右端が私になる。 私が始めて参加したバンドである。 最初はアルバイトだったが、プロへ進むきっかけとなった。 当時20歳。楽器はパーカッションを担当していた。 この後、「永田佳宜とルアナキング」に参加した。 |
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写真・後列左端が私になる。 この写真は銀座のクラブに出演していた時のもの。楽器はウクレレを担当していた。 当時はハワイアン全盛で、それこそ星の数程バンドが存在していた。 この頃はメンバーの引き抜きが日常茶飯事だったし、マネージャが給料を全額持ち逃げする事件があったり等、何かと騒がしい時代だった。 |
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ヘンリー・一の瀬とロイヤル・ハワイアンズの後は以下のようにバンドを変遷していった。 ○アパカ・塚原とザ・ポリネシアンズ ○鈴木康弘とハワイアン・エース ○大塚順とロイアル・エコーズ |
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写真・後列左端が私になる。楽器はウクレレがメイン。 その後のバンド変遷は以下の通り。(1962〜63) ○亀田四郎とブルー・エコーズ ○本間正彦とレイ・アロハ・セレナーダス ○三浦通之とアイランド・エイセス |