第2回 楽器屋さんにとってウクレレとは何か '00.6.25 |
ウクレレがブームになって、楽器屋さんに変化が起きた。ウクレレが店の定番商品となり、店頭の目立つところに並ぶようになったのだ。 ちょっと前までウクレレは夏の一時期に店頭を飾り、夏が過ぎると姿を消していったものである。今や季節を問わず、しかも店のショウウィンドウのいい場所にウクレレが飾られている。 そんな現況を見て、「ウクレレも楽器としてようやく1人前に認められましたね」と言ってくれる人がいるが、僕にはまだそのように思えない。 楽器屋さんは、ウクレレが売れるから店頭に出しているだけで、しかも楽器とはとても言い難いオモチャのウクレレをいまだに平気で売っている。僕にはそれが我慢ならない。 おもちゃのウクレレ自体は否定しない。それを”楽器屋が売っているという状態”が我慢ならないのである。楽器屋さんがどうして音程も合っていなければチューニングもロクにできないウクレレ(僕が言う”おもちゃウクレレ”とはそういうものを指す)を「楽器でござい」と売るのか。 僕には今、ウクレレが売れるから、安かろうも悪かろうもどんどん売っているとしか思えてならないのである。これは非常に残念なことだ。(せめて売るなら”インテリア用”とか書いて欲しいものである) ウクレレに関心をもった人が楽器屋さんに行く。初めての人はどんなもんだかよくわからないから、安いものを買い求めるだろう。そしたら音程は悪いわ、チューニングもできないわでは、失望し、あきられてウクレレはガラクタ扱いされてしまう。そしてこう思うだろう。「ウクレレなんてこんなもんだ」と。そうなることがとても悲しい。 全ての楽器屋さんがそういうところばかりだとは決して思わない。しかし、僕にはピンキリのウクレレをブームにまかせて大量に仕入れ、品質のチェックも行わず、店にならべ、アフターフォローもしてくれない「売りっぱなし」の店が少なからずあるように見えてならない。大量生産・大量消費時代の悪いところだ。 来年には21世紀である。大量生産・大量消費の商売から多品種少量・ユーザーサービス提供の商売を重視するべきではないだろうか。 楽器屋さんとは単に楽器を売るところではなく、いい楽器との出会いを提供するところだと思う。そして僕のような者の使命は、その人が出会ったウクレレと一生つきあってもらえるようにスクールをやったり、ウクレレのすばらしい曲をライブやメディアを通じて披露したりすることだと思っている。 ぜひ楽器屋さんがお客さんとウクレレの良き出会いの場になってくれることを願ってやまない。 (注:写真の撮影場所は本文の内容と何ら関係がありません) |