第6回 世紀末ハワイアンコンサートを終え・そして新世紀 '01.1.5 |
新年あけましておめでとう。 20世紀が終わり、新しい世紀がやってきました。本年も清水峰生と布哇庵をよろしくご愛顧願います。さて、昨年は20世紀最後ということで、12月24日に新宿・安田生命ホールで「世紀末ハワイアンコンサート」と名うって実に15年ぶりのワンマンコンサートを行いました。 リサイタルに足を運んでくださった皆様には心より御礼申し上げます。 新世紀最初の年頭所感ということで、「世紀末ハワイアンコンサート」のプログラムに掲載した「ごあいさつ」を交えながら今後の抱負を語りたいと思います。 19年前のプログラムで僕はこんなことを書いていました。『長いようで短い20数年でした。演劇の世界からふとした縁でハワイアンの世界に関わり、何時止めようかと思いながらその音楽の魅力に執り付かれてしまったのです。沢山の仲間や先輩、関係者の人々に若気至りとは言いながら迷惑をかけ又傷つけたことか。 沢山の仲間が別の世界に転身してしまいました。不器用な私はそれも出来ずにただ我武者羅に自分の道を歩くことしか出来なかったのです・・・』 この文を読んで、その後ちっとも変わっていない自分にびっくり!でもその間にオープン仕立てで経営の苦しかった「布哇庵」をかみさんと共に21年、ハワイアン・スナック業界では最古参になるまで頑張って来れた事。「メリー・モナーク」に15年間で体調を崩しての1度を除いてつぶさに視察をし、ハワイの若いフラ・ダンサー達の情熱、それを巡っての駆け引きを見ることができました。(「メリー・モナーク」が日本のフラ界に与えた影響は良しにつけ悪しに付け大きいと思います)ハワイ・カウンティ(ハワイ島郡庁)からの誘いにより8年間参加している「ベアフット・クラシック」も楽しい行事の一つです。 世はまさに業界でフラとウクレレのブームで沸き立っています。(フラやウクレレの普及が全体にハワイアン音楽を含めてレベルの向上に結びつかないのが残念!)流れに乗りきれない私は今まで通り不器用に生きていきたいと思います。 と、まあ、このような挨拶をプログラムに掲載させてもらいました。 そして21世紀。清水峰生はどこに行くのか。流れに乗りきれない僕は今まで通り不器用に生きていくけれど、90年代末期に起こったウクレレの人気を一過性のものとして終わらせるのではなく、ハワイアン音楽を含めてレベルの向上に結びつく活動を主にしていくつもりです。 と、言っても引退するわけじゃないからね!これからも歌い続けていきます。(体調と生来のずぼらさとのバランスをとりながらだけれど)45周年だってやるんだから。それと、「世紀末ハワイアンコンサート」に僕のわがままを受け入れて出演して下さったフラの皆さんにこの場をもちまして心より感謝申し上げます。45周年の時もよろしくね。 「メリー・モナーク」 宣教師によって禁止され、廃れかけたハワイ民族音楽とフラを復活させた大コンクール。 「ベアフット・クラシック」ベアフットとは「裸足」の意味。裸足で気軽にフラに参加できる子供・お年寄り中心のイベント。 「メリー・モナーク」「ベアフッ・トクラシック」共、ハワイ島・ヒロで行われる。「メリー・モナーク」はイースタ(復活祭)後の木・金・土、「ベアフッ・トクラシック」は毎年7月に開催。 |